中学歴史 中世の日本 元の襲来と鎌倉幕府の滅亡 練習問題1
資料を見て、次の問いに答えて下さい。
(1)次の絵は、どんな出来事を描いたものですか?
元寇・・・鎌倉幕府の執権は北条時宗(ほうじょうときむね)のときで、元の皇帝はフビライ=ハンでした。
文永の役と弘安の役の2度にわたって元が九州北部に襲来しました。
答え 元寇(げんこう)
(2)絵から、日本の武士はどんなことに苦戦したことがわかりますか?2つ書いて下さい。
日本の武士の戦法は、まず自分の名を名のり、それから戦う相手を選んで一騎打ちをするという戦法なのに
対して、元軍は、火薬をつめた鉄の玉や毒矢を使った集団戦法だった。
答え 集団戦法・火薬・毒矢などの使用。
(3)この出来事(第一回)の後に石塁(せきるい)が築かれたのは九州の何処になりますか?
元と高麗が[文永(ぶんえい)の役]九州北部に襲来し火薬・毒矢・集団戦法に苦戦したために[弘安(こうあん)
の役]では、博多湾に数10Kmの石塁(せきるい)で上陸を防いだ。
答え 博多(はかた)湾
(4)このころ、中国に支配され、日本に船や兵をだした朝鮮半島の国はどこになりますか?
高麗は、約30年間、元に抵抗したが、元に服従することになった。
答え 高麗(こうらい)
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