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中学歴史 原始から古代へ 古代国家の衰えと武士の起こり 練習問題2 解答・解説

原始

中学歴史 原始から古代へ 古代国家の衰えと武士の起こり 練習問題2 解答・解説


 図を見て次の問いに答えてください。


(1)武士は地方で、図のような集団をつくっていました。図の?にあてはまる、このような武士の


  集団を何といいますか?



    答え 武士団(ぶしだん)



(2)(1)の集団の頭をなんと呼びましたか?



    答え 棟梁(とうりょう)



(3)(1)の集団の中で、天皇の子孫といわれるのは源氏と何氏ですか?



   答え 平氏



(4)武士はどのような仕事をしましたか?あてはまるものを、次のア~ウから選んでください。


 ア、都の貴族に仕えて、護衛にあたった。
 イ、国司に任命されて地方を治めた。
 ウ、都で貴族となった。



   答え ア


(5)次のA~Cの乱が発生した順に、記号を並び替えてください。


 A,前九年の役・後三年の役
 B,平将門の乱
 C,藤原純友(ふじわらすみとも)の乱


   前九年の役は1051年


      平安時代後期の奥州(東北地方)を舞台とした戦役である。この戦いの


   結果、安倍氏が滅び、清原氏が東北の覇者となった。


 後三年の役は1083年


       平安時代後期の陸奥・出羽(東北地方)を舞台とした戦役である。前九年の役


   の後、東北地方に覇を唱えていた清原氏が消滅し、奥州藤原氏が登場するきっ


   かけとなった戦いである。


 平将門の乱は935年


      関東では平将門が親族間の抗争に勝利して勢力を拡大。やがて受領と地方富豪層の間の緊張関係の調停に積極介入


 するようになり、そのこじれから国衙と戦となって、結果的に朝廷への叛乱とみなされるに至った。


  将門は関東を制圧して新皇と自称し関東に独立勢力圏を打ち立てようとするが、平貞盛、藤原秀郷ら追討軍の攻撃


 を受けて、新皇僭称後わずか2ヶ月で滅ぼされた。


 藤原純友の乱は939年


     瀬戸内海で起きた乱、瀬戸内海では海賊による被害が頻発していた。従七位下


 伊予掾の藤原純友は海賊の討伐に当たっていたが、 承平6年(936年)頃には


 伊予国日振島を根拠に1000艘を組織する海賊の頭目となっていたとされる。


 



   答え B→C→A


(6)(5)のA~Cの乱が発生した地域を、地図の中のア~エから選んでください?



  答え A,ア B,イ C,エ


(7)次の?~?の文は、どの乱をのべたものですか?(5)のA~Cから選んでください。


?源義家(みなもとよしいえ)は東国の武士を率いて安倍氏の抵抗、清原氏の内乱を鎮めた。
?新皇と名乗り、地方の役所を襲った。
?大宰府を襲い、海賊と手を結んでこの地方を支配した。


 答え ?A ?B ?C

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