中学歴史 原始から古代へ 平城京から平安京へ 基本問題1 解答・解説
1, 飛鳥時代
2,
(593年)に造立が開始されている。日本仏教の祖とされる聖徳太子建立の寺であり、「日本仏教の最初の寺」
法隆寺
聖徳太子こと厩戸王ゆかりの寺院である。創建は同じく聖徳太子ゆかりの寺院である四天王寺より約20年後
の607年とされるが、確証はない。金堂、五重塔などがある西院と、夢殿などのある東院に分かれる。
西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。
4, 藤原
藤原氏は、中臣鎌足が大化の改新の功により天智天皇に賜った「藤原」の姓が、子の藤原不比等
の流に認められたのに始まる。
5,
6, 古事記
古事記(こじき、ふることふみ)は、(712年)太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ、太安万侶
(おおのやすまろ))によって献上された日本最古の歴史書。上・中・下の全3巻に分かれる。
7, 743年
墾田永年私財法
723年(養老7)に出された三世一身法によって墾田は孫まで三代の間で私財化が認められていたが、それ
では三代後に国に返さなければならないことが見えており、農民の墾田意欲を増大させるには至らなかった。
それを踏まえ、この法の施行をもって永年にわたり私財とすることを可能とした。
国分寺、 国分尼寺
国分寺(こくぶんじ)、国分尼寺(こくぶんにじ)は、741年(天平13年)、聖武天皇
が国情不安をしずめるため、
各国に建立を命じた寺院。
10, 長岡京
11
平安京
794年(延暦13年)に桓武天皇により定められた日本の首都であった。
12, 征夷大将軍「せいいたいしょうぐん」
「征夷」とは、「夷を征討する」の意味。征夷大将軍は、「夷」征討に際し任命された将軍の一つで、太平洋側か
ら進軍する軍隊を率いた。日本海側を進軍する軍隊を率いる将軍は征狄大将軍、九州へ進軍する軍隊を率いる将軍
は征西大将軍と呼ぶ。これは、「東夷・西戎・南蛮・北狄」と呼ぶ、中華思想の「四夷」をあてはめたためと思わ
れる。
坂上田村麻呂は、延暦16年(797年)11月5日に征夷大将軍に任命された。
13, 天平「てんぴょう」(文化)
7世紀終わり頃から8世紀の中頃までをいい、奈良の都平城京を中心にして華開いた貴族・仏教文化である。
この文化を、
聖武天皇のときの元号天平を取って天平文化と呼ぶ。









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