中学歴史 近世の日本 中世から近世へ 確認問題1
1、ヨーロッパ人による新航路の発見
ローマ教皇はⓐキリスト教の聖地をⓑイスラム教徒から奪い返そうとして、何度も軍隊を送ったが成功せず、教皇
や教会の権威は衰え、財政が苦しくなった。
14世紀になると、教会の教えや古いしきたりにとらわれず、人間性を尊重する動きが、早くから都市が発達した
(?)で起こった。この動きはⓒギリシャ・ローマの文芸を復興することで始まった。
16世紀になると、ローマ教皇や教会が(?)という札(ふだ)を乱発して資金を集めていたのを見て、(?)は信仰
によってのみ救われると主張してⓓ宗教革命を起こした。
(1)文中の?~?にあてはまる語句・人物名を書いて下さい。
日本が室町時代から安土・桃山時代のころ、ヨーロッパでは、強大な力を持つローマ教皇をトップとする既成
のキリスト教に対して、改革をする動きが出てきた(宗教改革)。その口火を切ったのがルター。
答え ?[イタリア]、?[免罪符(めんざいふ)]、?[ルター]
ルネサンス
14世紀 – 16世紀にイタリアを中心に西欧で興った古典古代の文化を復興しようとする歴史的文化革命
あるいは運動を指す。また、これらが興った時代(14世紀 – 16世紀)を指すこともある。
宗教改革の中心人物となったことでプロテスタント教会の源流をつくった。
聖書をキリスト教の唯一の源泉にしようというルターの呼びかけはプロテスタント諸教会のみならず、対抗改革
を呼び起こしたという意味でカトリック教会にも大きな影響を与えた。
(2)下線部ⓐはどこになりますか?次のア~エから選んでください。
イタリアのローマ市内にある世界最小の主権国家。
カトリック教会と東方典礼カトリック教会の中心地、いわば「総本山」である。
ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の聖地。
キリスト教にとっては、エルサレムはイエス・キリストが教えを述べ、そして処刑され、埋葬され、
復活したとされる場所である。それらの場所には、現在はそれぞれ教会が建っている。
ア ベネチア
イ エルサレム
ウ アテネ
エ ローマ
答え [イ]
(3)下線部ⓑを開いたのは誰ですか?
イスラム教
唯一絶対の神を信仰し、神が最後の預言者たるムハンマドを通じて人々に下したとされるコーランの教えを
信じ、従う一神教である。
答え [ムハンマド(マホメット)]
(4)下線部ⓒを何といいますか?
答え [ルネサンス(文芸復興・ぶんげいふっこう)]
イタリアでルネサンス文化が開花したのは、フィレンツェ、ミラノ、ローマ、ヴェネツィアなどの都市である。
(5)下線部ⓓについて、次の?~?の問いに答えて下さい。
?人々が自分の職業に励むことが神の教えにかなうと説いたのは誰になりますか?
答え [カルバン]
フランス生まれの神学者。ルターやツヴィングリと並び評される、キリスト教宗教改革初期の指導者である。
カルヴァンの神学は、ルター派など一部を除き教派の違いを超えてプロテスタント諸派に大きな影響を与えた。
プロテスタント教会のひとつ改革派教会は彼の思想的流れを汲む教会である。
?改革派のキリスト教徒を何といいますか?
答え [プロテスタント]
プロテスタント
プロテスタントは特定の教派・教団を指す名称ではなく、神学や教義解釈がそれぞれ異なる多数の教派
(主にカトリックから分裂した教派、もしくはそこから更に分裂した教団)を総称して呼んでいるに過ぎず、
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