中学歴史 近世の日本 中世から近世へ 確認問題2解答
日本に来たヨーロッパ人と信長
次の文を読んで、後の問いに答えてください。
1543年、ⓐヨーロッパ人を乗せた船が、暴風雨のためⓑ九州の地に流れ着き、ⓒ鉄砲が
日本に伝えられた。また、1549年には、ⓓイエズス会の宣教師が来てキリスト教を伝えた。
キリスト教は民衆のあいだに広まり、ⓔキリスト教の信者は増えていった。
16世紀中ごろになると、京都に上って全国を支配しようとするものが現れた。尾張のⓕ
(A)は、京都に近い(?)に城を築き、交通を便利にするため、各地の(?)を廃止すると
ともに、城下町では、ⓖ商工業の発展をはかった。
(1)文中の?・?にあてはまる語句を書いてください。
答え ?[安土(あづち)]、?[関所]
築城の目的は岐阜城よりも京に近く、琵琶湖の水運も利用できるため利便性があり、加えて北陸街道
から京への要衝に位置していたことから、越前・加賀の一向一揆に備えるため、上杉謙信への警戒のため
でもあった。その規模、信長の天下統一事業を象徴する城郭であり、山頂の天主に信長が起居、その家族
も本丸付近で生活し、家臣は山腹あるいは城下の屋敷に居住していたとされる。
交通の要所に設置された、徴税や検問のための施設である。
(2)下線部ⓐは、どこの国の人ですか?
種子島湾に漂着した中国船に乗っていたポルトガル人が鉄砲を所持しており、鉄砲の実演を行った。
答え [ポルトガル]
(3)下線部ⓑの地名(島名)を書いてください。また、その場所を地図中のア~クから選んでくだ
さい。
(4)下線部ⓒは、日本でつくられるようになった。その場所を、次のア~エから選んでください。
戦国時代以降、日本では近江の国友、同じく日野、紀州の根来、和泉の堺が鉄砲の主要生産地として栄えた。
国友・日野・堺はその後も鉄砲の生産地として栄え、高い技術力を誇った。
ア、堺
イ、長崎
ウ、山口
エ、京都
答え [ア]
(5)下線部ⓓが着いた場所を書いてください。また、その場所を地図中のア~クから選んでくだ
さい。
中国の船に乗った一行は中国を経て1549年に鹿児島(現在の鹿児島市祇園之洲)に上陸した。
答え [鹿児島・キ]
(6)下線部ⓔを何といいますか?カタカナで書いてください。
日本の戦国時代から江戸時代、更には明治の初めごろまで使われていた言葉である。
答え [キリシタン]
(7)下線部ⓕについて、次の?~?の問いに答えてください。
?桶狭間の戦いで、駿河(するが)の大名を破った(A)は誰になりますか?
2万5千といわれる大軍を引き連れて尾張に侵攻した駿河の戦国大名・今川義元に対し、尾張の大名
・織田信長
が10分の1程とも言われる軍勢で本陣を強襲し、今川義元を討ち取って今川軍を潰走させた、日本の歴史上最も
華々しい逆転劇と言われる非常に有名な戦いである。
答え [織田信長(おだのぶなが)]
?織田信長に追放された足利幕府の将軍は誰になりますか?
?織田信長が仏教勢力を打ち払うために焼き打ちした、滋賀県にある寺は何といいますか?
織田信長は僧侶、学僧、上人、児童の首をことごとく刎ねたと言われている。
比叡山は京都を狙う者にとって、北陸路と東国路の交差点になっており、山上には数多い坊舎があって、数万の
兵を擁することが可能な戦略的に重要な拠点となっていた。
?下線部ⓖのために出された命令を何といいますか?
答え [楽市・楽座令]
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