スポンサーリンク

中学1年歴史 原始から古代へ 日本の原始時代 基本問題3 解答・解説

中学1年歴史 原始から古代へ 日本の原始時代 基本問題3 解答・解説



 資料を読んで、次の問いに答えてください。


  倭人の国は、多くの国に分かれている。その中で最も強い邪馬台国は、30ほどの小国を従えて、


 女王の( )が治めている。男たちは、全身に刺青をし、体には、幅の広い布をまとっている。


 女は、広い布の真ん中に穴を開け、そこから首を出して着物にしている。  (中略)


  女王の( )は神に仕え、まじないによって政治を行い、宮殿の奥深くに住んで姿を見せず、


 1000人のもの召使を使っていました。( )が死ぬと、大きな墓がつくられ100人もの奴婢(奴隷)


 が一緒に埋められた。


  (一部要約)



(1)文中の( )にあてはまる人物名を答えてください。


    「魏志倭人伝」の卑弥呼


  「魏志倭人伝」によると、卑弥呼は邪馬台国に居住し(女王之所都)、鬼道で衆を惑わしていた


 という(卑彌呼 事鬼道 能惑衆)。この鬼道や惑の意味には諸説あるが正確な内容については不明。


 既に年長大であったが夫を持たず(年已長大無夫壻)、弟がいて彼女を助けていたとの伝承がある


(有男弟佐治國)。王となってから後は、彼女を見た者は少なく(自爲王以來少有見者)、ただ一人


 の男子だけが飲食を給仕するとともに、彼女のもとに出入りをしていた。宮室は楼観や城柵を厳しく


 設けていた(唯有男子一人給飮食 傳辭出入 居處宮室樓觀 城柵嚴設)。


   卑弥呼が死亡したときには、倭人は直径百余歩もある大きな塚を作り、奴婢百余人を殉葬したとさ


 れている(卑彌呼死去 卑彌呼以死 大作冢 徑百余歩)。


 


  答え 卑弥呼(ひみこ)


 


(2)この文が書かれている中国の歴史書の名を書いて下さい。



 答え 魏志倭人伝(ぎしわじんでん)


 


(3)下線部?の位置には2つの学説があります。その場所を2つ書いて下さい。


 魏志倭人伝には、朝鮮半島北部に当時あった郡から邪馬壹国に至る道は、


  倭国に至るには、船で韓国を経て7,000余里で倭国の北岸の狗邪韓国に到着する。そこから海を


 1,000余里渡り、対海国に着く。瀚海と呼ばれる海を南に1,000余里渡ると一大国に至る。また海を


 1,000余里渡ると末廬国に至る。東南へ500里陸行すると伊都国に到着する。東南へ100里進むと奴国


 に至る。東へ100里行くと不弥国に至る。南へ水行20日で投馬国に至る。南、女王の都のある邪馬壹国


 に至る。水行10日陸行1月。帯方郡から女王国までは1万2,000余里ある。


   とあります。


  二大仮説 [編集]


  邪馬台国の所在地については日本国内どころか世界各地までにもその地を求める論者がいるが、


 学界の主流「畿内説」「九州説」の二説に大きく分かれている。ただし九州説には、邪馬台国が


 ”移動した”とする説(「東遷説」)と”移動しなかった”とする説がある。また、後者の一種に


 「九州王朝説」がある。邪馬台国所在地論争は、この二大説の対立が中心となっている。 


  
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD#.E4.BD.8D.E7.BD.AE.E3.81.AB.E9.96.A2.E3.81.99.E3.82.8B.E8.AB.96.E4.BA.89



  答え 畿内説(大和、奈良)・九州説(九州北部)



(4)この時代に、中国は3つの王朝に分かれていました。魏と呉とあと1つは何でしょうか?


  蜀は魏、呉と共に劉備によって建国された。中国三国時代を形成した一国である。巴蜀(現在の


 四川省・湖北省一帯)を領土とし、成都を都に定めた。


 


  答え 蜀(しょく)


 


(5)下線部?の[奴婢]の読みが名は何と読みますか。


  律令制における、良民(自由民)に対する賤民(自由のない民)の中の位置づけの一つであり、


 奴隷階級に相当する。は、男性の奴隷。は女性の奴隷を意味する。



  答え 奴婢(ぬひ)



  

コメント