中学歴史 原始から古代へ 日本の古代国家の形成 練習問題2 解答・解説
資料を読んで、次の問いに答えてください。
(1)資料はある法令の一部になります。法令の名前を書いてください。
一曰く、和をもって貴(たっと)しとなし、さからうことなきを宗(むね)となせ。
(争いをやめ和を尊こと)
二曰く、厚く三宝を敬(うやま)え。三宝とは仏法僧なり。
([?]を信仰すること)
三曰く、詔(みことのり)を承(うけたまわ)りては、必ず謹(つつし)め。
([?]の命令にしたがうこと)
十七条憲法(じゅうしちじょうけんぽう)とは、『日本書紀』、『先代旧事本紀』に推古天皇12年(604年)
4月3日に「夏四月 丙寅朔戊辰 皇太子親肇作憲法十七條」と記述されている17条からなる条文である。
憲法十七条、十七条の憲法とも言う。
十七条憲法は720年に成立
(2)(1)をだした人物は誰になりますか?
皇太子親肇作とは、聖徳太子のことを言います。
答え 聖徳太子
(3)(1)は誰に対して出されたものですか?次のア~ウから選んでください。
ア、役人
イ、貴族
ウ、農民
官僚や貴族に対する道徳的な規範を示したものである。今日の国家公務員法、地方公務員法、国家公務員
倫理法に近い性質のものと言われることもあります。
儒教・仏教の思想が習合されており、法家・道教の影響も見られる。
答え ア
(4)資料中の?・?にあてはまる語句を、次のア~オから選んでください。
ア、役人
イ、天皇
ウ、貴族
エ、仏教
オ、儒教
一曰く、和をもって貴(たっと)しとなし、さからうことなきを宗(むね)となせ。
(争いをやめ和を尊こと)
二曰く、厚く三宝を敬(うやま)え。三宝とは仏法僧なり。
([仏教]を信仰すること)
三曰く、詔(みことのり)を承(うけたまわ)りては、必ず謹(つつし)め。
([天皇]の命令にしたがうこと)
答え ?エ、?イ
法隆寺(ほうりゅうじ) は、奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の総本山である。
別名を斑鳩寺(いかるがでら)という。
答え 法隆寺
(6)次の各文のうち、(2)の人物が行ったものには○、そうでないものは×を書いて下さい。
?百済を助けるため、軍隊を送り込んだ。
4世紀後半から5世紀にかけて倭国の農業生産力は大きく向上した。これにより、経済力をつけた大和
王権は鉄資源を求めて朝鮮半島へ経済的・軍事的に進出し始めた。ヤマト王権(倭国)は百済と連携して
朝鮮半島南部への出兵を頻繁に展開し、このことは高句麗が遺した広開土王碑にも記述されている。
?大化の改新を行い、天皇中心の国家にしようとした。
中大兄皇子と中臣鎌足によって蘇我氏を暗殺した。
?大宝律令を定め、律令による政治を行った。
大宝律令は、日本史上初めて律と令がそろって成立した本格的な律令である。天武天皇により律令制定
を命ずる詔が発令され制定された。
?遣隋使を派遣し、中国の文化を取り入れようとした。
607年(推古15年)に小野妹子が隋に国書を持って派遣されたと記されている。
(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)と書き出されていた。
この、文章を書いたのが聖徳太子と言われている。
?冠位十二階を定め、才能によって役人を採用した。
豪族を序列化し、また氏や姓にとらわれることなく優秀な人材を登用することを目指した。
聖徳太子と、蘇我馬子が共同でつくられたと考えられています。
答え ? ×、? ×、? ×、? ○、? ○
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