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中学歴史 原始から古代へ 人類の始まりと文明 確認問題3 解答・解説

中学歴史 原始から古代へ 人類の始まりと文明 確認問題3 解答・解説



   A~Cの資料を読んで、次の問いに答えてください。


 A,親子・兄弟などの秩序を大切にし、思いやりの心(仁)による政治を説いた。


 B,人の価値は生まれによって決まらないし、人はみな平等であり、心の迷いを取り去れば、だれでも


  苦しみから救われると説いた。


 C,人は神の前では平等であり、神の愛によって誰でも救われると説いた。



(1)資料Aの宗教をなんといいますか?


   儒教は、五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより五倫(父子、君臣、夫婦、


  長幼、朋友)関係を維持することを教える。


   儒教の考えには本来、男尊女卑と言う考えは存在していなかった。しかし、唐代以降、儒教に於け


  る男尊女卑の傾向がかなり強く見られるのも事実である。これは「夫に妻は身を以って尽くす義務が


  ある」と言う思想(五倫関係の維持)を強調し続けた結果、と現在ではみなされており、儒教を男女


  同権思想と見るか男尊女卑思想と見るかの論争も度々行われるようになっている。



 


   人を思いやること。孔子以前には、「おもねること」という意味では使われていた。[要出典]また、


  白川静『孔子伝』によれば、「狩衣姿も凛々しい若者のたのもしさをいう語」。「説文解字」は「親


   」に通じると述べている。


  「論語」の中では、さまざまな説明がなされている。孔子は仁を最高の徳目としていた。



    答え 儒教
   


(2)資料Bを説いた人は、だれですか?


   インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、あるいはガウタマ・シッダールタ)を開祖とする宗教。


   
    答え 釈迦(シャカ)


  http://ja.wikipedia.org/wiki/釈迦


(3)資料Cを説いた人は、だれですか?


   新約聖書でイエスは無差別平等の民族を越えた父なる神の愛を説き、十字架によるイエスの処刑後


  、徐々に教えが広まり、キリスト教は世界宗教として成長していった。



    答え イエス=キリスト


  http://ja.wikipedia.org/wiki/イエス・キリスト   


(4)資料Cを4世紀に国教とした国名をかいてください.


  ローマ帝国は


   ディオクレティアヌス退位後に起こった内戦を収拾して再び単独の皇帝となったコンスタンティヌス


  1世(大帝。在位:副帝306年-、正帝324年-337年)は、313年にミラノ勅令を公布してキリスト教を公認


  した。後のテオドシウス1世(在位:379年-395年)のときには国教に定められた(380年)。


 


   答え ローマ帝国


 
   http://ja.wikipedia.org/wiki/ローマ帝国



(5)インドではバラモンの教えを取り入れた宗教が栄えましたが、この宗教をなんといいますか?


  バラモン教から聖典やカースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら徐々に形成されて


 きた多神教である。 紀元前2000年頃にアーリア人がイランからインド北西部に侵入した。


  彼らは前1500年頃ヴェーダ聖典を成立させ、これに基づくバラモン教を信仰した。


 紀元前5世紀ごろに政治的な変化や仏教の隆盛がありバラモン教は変貌を迫られた。


 その結果 バラモン教は民間の宗教を受け入れ同化してヒンドゥー教へと変化して行く。


 ヒンドゥー教は紀元前5~4世紀に顕在化し始め、紀元後4~5世紀に当時優勢であった仏教を凌ぐように


 なった。その後インドの民族宗教として民衆に信仰され続けてきた。



   答え ヒンドゥー教


 


   http://ja.wikipedia.org/wiki/ヒンドゥー教


 

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