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中学歴史 原始から古代へ 日本の古代国家

中学歴史 原始から古代へ 日本の古代国家


1、古墳時代の社会の様子


  (1)巨大な墓・・・王や豪族の墓


     ?種類


       前方後円墳円墳方墳などがあり、大仙古墳が最大になります。


     ?埴輪(はにわ)


       古墳の頂上や周りに並べられた土製品。


  (2)大王と豪族



     ?大和王権


       大王を中心に、大和と周辺の有力な豪族によって構成される。支配者


      を中国では倭王(わおう)、国内では大王と呼びました。


     ?氏(うじ)


       豪族とその一族の血縁的な集団。


   (3)古墳時代の人々の暮らし


       人々は竪穴住居に住んでいました。



2、大和王権と渡来人(とらいじん)


   (1)5世紀ごろの東アジア


     ?中国


       漢民族の南朝と遊牧民族の北朝に分裂。


     ?朝鮮


       高句麗楽浪郡(らくろうぐん)を滅ぼし北部を支配し、南部に百済(くだら)


      新羅(しらぎ)がおこる。加耶(かや)は大和王権とつながりを強める。


    (2)渡来人


        朝鮮や中国から移り住んだ人々。質の硬い土器(須恵器・すえき)・漢字


      仏教などを伝える。


    (3)九州北部の反乱


        筑紫の豪族磐井(いわい)が新羅(しらぎ)と結んで反乱を起こす。



3、東アジアの統一国家


    (1)中国・朝鮮の統一


       ?隋(ずい)


        6世紀末、南北朝を統一。中国の南北をつなぐ運河を作る。


       ?唐(とう)


        7世紀はじめ、中国を統一。律令(法律)を定め、役所の仕組みを整え、戸籍


       をつくる。首都は長安(ちょうあん)は人口100万を超える国際都市。


       ?新羅(しらぎ)


        676年、百済(くだら)・高句麗(こうくり)を滅ぼし、朝鮮半島を統一。


    (2)蘇我氏(そがし)と聖徳太子
       
       ?蘇我氏(そがし)の成長


         仏教を取り入れ、反対派の物部氏(もののべし)を滅ぼす


       ?聖徳太子


         6世紀末、推古天皇(すいこてんのう)の摂政となる。蘇我馬子(そがのうまこ)


        と協力。


         ○冠位十二階(かんいじゅうにかい)


           家柄ではなく才能により役人を採用。


         ○十七条憲法
       
           仏教を取り入れ、役人の守るべき道を示す。


         ○遣隋使(けんずいし)


           隋(ずい)へ小野妹子(おののいもこ)、留学生を派遣。仏教や政治制度


          を学ぶ。


        ?飛鳥時代(あすかじだい)


          政治・経済の中心が飛鳥地方(大和盆地南部)にあった。



4、律令国家をめざして


     (1)大化の改新(たいかのかいしん)


        ?遣唐使(けんとうし)の派遣


          大和王権は唐と国交を結ぶ。唐の政治制度を学ぶ。


        ?大化の改新(たいかのかいしん)


          中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は中臣鎌足(なかとみのかまたり)ら


         と共に蘇我氏を倒す。年号を大化とし、都を難波宮(なにわ)に移す。


         ○公地公民(こうちこうみん)


           土地と人民を国のものとする。


      (2)大王から天皇へ


        ?壬申の乱(じんしんのらん)


          天智天皇(てんじてんのう)の死後、皇位をめぐる戦い。天武天皇(てんむて


         んのう)が天皇中心の国家の建設を進める。694年、都を藤原京に移す。


        ?大宝律令(たいほうりつりょう)


          701年、唐の律令にならって制定。


 

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