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中学歴史 日本の古代国家の形成 基本問題1 解答・解説

古代

中学歴史 日本の古代国家の形成 基本問題1 解答・解説



年表の1~13にあてはまる語句や数字、人名を書いて下さい。


1,中国は、4~5世紀は、南北朝になります。



   答え 南北朝



2,  広開土王碑(こうかいどおうひ)には新羅・百残(百済)は(高句麗の)属民であり、朝貢してい


  たが、倭が辛卯年(391年)に来たので、(高句麗が)海を渡り(倭と結託した)百残を破り、新羅


  を救い、臣民とした。と解釈するのが定説である。



   答え 新羅(しらぎ)


 


3, 磐井の乱(いわいのらん)とは、527年(継体21)に朝鮮半島南部へ出兵しようとした近江毛野(おう


 みのけな)率いるヤマト政権軍の進軍を筑紫君磐井(つくしのきみいわい)がはばみ、翌528年(継体


 22)11月、物部麁鹿火(もののべのあらかい)によって鎮圧された反乱または王権間の戦争。



   答え 磐井(いわい)



4, 日本においては6世紀半ばの欽明天皇期、百済から倭(古代日本)への仏教公伝のことを指すのが一般


  的です。



   答え 仏教



5, 587年7月(丁未の乱〈ていびのらん〉)、蘇我馬子は、厩戸皇子、泊瀬部皇子、竹田皇子などの皇族


  や諸豪族の軍兵を率いて河内国渋川郡の物部守屋の館へ進軍した。



   答え 物部氏(もののべし)


 


6, 第33代天皇・推古天皇が即位し聖徳太子が摂政になる。


   答え 推古(すいこ)



7, 摂政とは、君主制を取る国家において、君主が幼少、病弱、国都不在などの理由で政務や国事行為


  を行うことができないとき、君主に代わってそれを行う(政を摂る)こと、またはその役職のことで


  ある。多くの場合、君主の後継者(皇太子など)、兄弟、母親、あるいは母方の祖父や叔父などの


  外戚が就任する。



   答え 摂政(せっしょう)



8, 遣隋使(けんずいし)とは、倭国が隋に派遣した朝貢使のことをいう。600年(推古8年)~618年


 (推古26年)の18年間に5回以上派遣されている。


  
   答え 遣隋使(けんずいし)



9,  大宝律令(たいほうりつりょう)は、8世紀初頭に制定された日本の律令である。唐の永徽律令


 (えいきりつれい、651年制定)を参考にしたと考えられている。大宝律令は、日本史上初めて律と令


  がそろって成立した本格的な律令である。



   答え 645


10, 中大兄皇子中臣鎌足らが実行犯となり蘇我入鹿を暗殺し蘇我氏本宗家を滅ぼした乙巳の変(いっし


  のへん)の後に行われたとされる(この暗殺事件もまとめて大化の改新と呼ぶこともある)。


   天皇の宮(首都)を飛鳥から難波宮(現在の大阪市中央区)に移し、蘇我氏など飛鳥の豪族を中心


  とした政治から天皇中心の政治への転換点となったとされる。



   答え 中臣鎌足(なかとみのかまたり)



11,飛鳥京の西北部、奈良県橿原市に所在する日本史上最初で最大の都城である。また、日本史上最初の


 条坊制(じょうぼうせい)を布いた本格的な中国風都城でもある。 この都城は、周礼が説く思想を表


 していたとされている。



   答え 藤原


12, 大王(おおきみ)とは、一般に3世紀後半から7世紀末頃、古墳時代から飛鳥時代にかけてのヤマト王権


 (倭国)の首長を指していう歴史用語。5世紀後半までに大王・治天下大王(あめのしたしろしめすおおきみ)


  の称号が成立し、この称号が飛鳥浄御原令の編纂が始まった680年代まで日本国内において用いられたと考


  えられている。


   「天皇」という表記には「すめらみこと」「すめろき」の熟字訓が当てられている。天皇家に生まれた


  神たる人の意味を表すという。


   答え 天皇


13,大宝律令


     8世紀初頭に制定された日本の律令である。唐の永徽律令(えいきりつれい、651年制定)を参考に


  したと考えられている。大宝律令は、日本史上初めて律と令がそろって成立した本格的な律令である。


 


   答え 701


 

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