中学歴史 原始から古代へ 日本の古代国家の形成 確認問題4解答・解説
律令国家を目指して− 1
次の文を読んで、後の問いに答えてください。
593年、女帝(?)天皇の摂政となった聖徳太子は、国の統一をはかろうと蘇我馬子と
共に政権をにぎって、天皇を頂点とする国家の仕組みを整えようとした。しかし、太子
の死後、蘇我氏の勢力が再び大きくなった。
645年、中大兄皇子は(?)と協力して蘇我氏を倒し、政権をにぎった。そして、初め
てⓐ年号を定め、ⓑ新しい都をつくった。翌年、ⓒ全国の土地と人民を国のものとし、
天皇がそれらを支配する方針を打ち出した。
(1)文中の?・?にあてはまる人物を書いてください。
593年、女帝(推古)天皇の摂政となった聖徳太子は、国の統一をはかろうと蘇我馬子と
共に政権をにぎって、天皇を頂点とする国家の仕組みを整えようとした。しかし、太子
の死後、蘇我氏の勢力が再び大きくなった。
645年、中大兄皇子は(中臣鎌足)と協力して蘇我氏を倒し、政権をにぎった。そして、初め
てⓐ年号を定め、ⓑ新しい都をつくった。翌年、ⓒ全国の土地と人民を国のものとし、
天皇がそれらを支配する方針を打ち出した。
答え ?推古[天皇] 、?中臣鎌足
(2)下線部ⓐの年号を何といいますか?
答え 大化
(3)下線部ⓑを何といいますか?
大化の改新の後、645年に孝徳天皇は難波に遷都した。
答え 難波宮(なにわのみや)
(4)下線部ⓒを何といいますか?
答え 公地公民
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