中学歴史 原始から古代へ 平城京から平安京へ 確認問題2 解答・解説
農民のくらしと奈良の都
次の文を読んで、後の問いに答えてください。
税や労役、兵役がきびしくなると、ⓐそれを逃れようとする農民が増えた。豪族や有力な農民のなかには、
稲などを貸し付けて高い利息をとるものが出てきた。こうして、農民の間に貧富の差が大きくなり、田が荒
れて農地が不足し始めた。そこで、743年、( )をだして、新たに開墾した田は、税を取るかわりに、開墾
した者の私有地として認めた。
(1)文中の( )にあてはまる語句を書いて下さい。
743年、(墾田永年私財法)をだして、新たに開墾した田は、税を取るかわりに、開墾した者の私有地と
して認めた。
答え 墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)
(2)下線部ⓐのためにどのようなことをしましたか?次のア~ウから誤っているものを選んでください。
農民たちは、税や労役、兵役がきびしくなり、他の領地に逃げるものたちや、戸籍をごまかす者たちが
増えた。
ア、他の領地に逃げた
イ、戸籍をごまかした
ウ、渡来人になった
答え ウ
(3)(2)のような農民の間に仏教を広め、橋やため池をなどをつくった僧は誰ですか?
行基は、口分田から逃亡したり、きびしい制度と生活に苦しむ民衆に仏教による救いを説いたが、橋や
ため池などをつくる土木技術も身に付けていた。
行基の指導により墾田開発や社会事業が進展し、民衆のために活躍した行基は740年(天平12年)から
大仏建立に協力する。
答え 行基(ぎょうき)
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