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中学歴史 中世の日本 古代から中世へ 練習問題2 解答

古代

中学歴史 中世の日本 古代から中世へ 練習問題2 解答



  資料を読んで、次の問いに答えて下さい。


(1)文中の(?)にあてはまる人物の名前を書いて下さい。


   答え 源頼朝(みなもとよりとも)


(2)文中の(?)には、武士が御恩(ごおん)に報いる言葉が入ります。何といいますか?


   


  御恩と奉公(ごおんとほうこう)とは、中世日本において、主に


  武士の主従関係を構成した要素・概念。


  中世の武士間の主従関係は、決して片務的なものではなく、主人・従者が相互に利益を与え合う互恵的


  な関係で成り立っていた。ここで、主人が従者へ与えた利益を御恩といい、


    従者が主人へ与えた利益を奉公といった。


  平安時代中期~後期から武士層に「御恩と奉公」の関係が徐々に形成されていたが、本格的に「御恩と奉公」


 が成立したのは、源頼朝が関東武士の盟主=鎌倉殿となってからである。以降、御恩と奉公の関係性は、鎌倉


 幕府の成立基盤として機能し続け、その後の室町幕府や江戸幕府にも引き継がれた。


   答え 奉公(ほうこう)


(3)文中の京都(京方)とは、誰を中心とした勢力ですか?


   答え 後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)


     承久の乱(じょうきゅうのらん)へ    


  鎌倉幕府(源頼朝)VS京方(後鳥羽上皇)


(4)資料の言葉は、誰が話していますか?次のア~エから選んでください。


  ア、北条政子(ほうじょうまさこ)


     鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室。伊豆国の豪族、北条時政の長女。


     伊豆の流人だった頼朝の妻となり、頼朝が鎌倉に武家政権を樹立すると御台所(みだいどころ)と


    呼ばれる。夫の死後に落飾して尼御台(あまみだい)と呼ばれた。頼朝亡きあと征夷大将軍となって


    幕政の実権を握り、世に尼将軍と称された。


  イ、北条泰時(ほうじょうやすとき)


     御成敗式目をつくった。


  ウ、源実朝(みなもとさねとも)


     鎌倉幕府を開いた源頼朝の子として生まれ、兄の源頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就く。


    政治は始め執権を務める北条氏などが主に執ったが、成長するにつれ関与を深めた。


    官位の昇進も早く武士として初めて右大臣に任ぜられるが、その翌年に鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に


    襲われ落命した。子はおらず、源氏の将軍は実朝で絶えた。
  
     歌人としても知られ、92首が勅撰和歌集に入集し、小倉百人一首にも選ばれている。


   家集として金槐和歌集がある。


  エ、源義経(みなもとよしつね)


 


   答え 


(5)この資料の言葉を聞いた武士たちは、どのようなことをして御恩に報いたのか、簡潔に書いて下さい。



   答え 京都を攻めた。


 


 

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