中学歴史 近世の日本 中世から近世へ 確認問題4解答
秀吉の海外政策
次の文を読んで、後の問いに答えてください。
16世紀半ば以降、ⓐポルトガル人やスペイン人との貿易が盛んになり、平戸や長崎で
貿易をするようになった。
貿易が盛んになる中、秀吉は倭寇の海賊行為を禁じる一方、貿易を進めた。貿易の拠点
となっていた、フィリピン・台湾・琉球に日本に従うことを求め、ついで、ⓑ中国を征服し
ようとして、その通路となる( )に、1592年に大軍を送った。
(1)文中の( )にあてはまる国名を書いてください。
文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)は1592年(日本:文禄元年、明および朝鮮:万暦20年)
から1598年(日本: 慶長3年、明および朝鮮:万暦26年)にかけて、日本と明との間で行われた戦争。
日本の豊臣秀吉が主導する遠征軍と明および李氏朝鮮の軍との間で交渉を交えながら朝鮮半島を戦場にして
戦われた。
(2)下線部ⓐはなんと呼ばれていましたか?
日本の商人とスペイン、ポルトガルの商人(南蛮人)との間で16世紀半ばから17世紀初期にかけて行われて
いた貿易である。
南蛮貿易が始まるとヨーロッパからガレオン船と呼ばれる竜骨を使った現在我々が普通に見る船底が尖った
波の揺れに強い船が入港されるようになった。
(3)下線部ⓑについて、日本からヨーロッパに輸出した物を、次のア~エから選んでください。
答え ウ
(4)下線部ⓑの当時の国名を書いてください。
答え 明(みん)
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