中学歴史 中世の日本 下克上と民衆の力
1、東アジアの交流と民衆の活躍
(1)元(げん)から明(みん)へ
モンゴル民族は北に追われ、漢民族の明(みん)が中国を統一する。
集団で中国や朝鮮に渡り、海賊的な行為を働く。
朝鮮半島や中国大陸の沿岸部や一部内陸、及び東アジア諸地域において活動した海賊、私貿易、密貿易を行う
貿易商人の事である。和寇と表記される場合もある。また海乱鬼(かいらぎ)とも呼ばれる。
足利義光(あしかがよしみつ)は、貿易の利益に目をつけ、貿易船には倭寇(わこう)
当時の私船(民間貿易)は、倭寇に代表される手荒い貿易方法で、元の衰退を惹起させる程の
もので看過でき ないものであった。明は日本(幕府)に倭寇の取り締まりを求め、幕府も
公船で貿易を行ない、私貿易を禁止すれば、既存の民間貿易の利得を幕府側で一手に引き受ける
ことが可能になるという目論見から、勘合符を用いる貿易が推し進められることとなった。
(2)朝鮮と琉球(りゅうきゅう)
?朝鮮(ちょうせん)
高麗(こうらい)の後、朝鮮が建国される。ハングルがつくられる。
尚(しょう)氏が沖縄本土を統一し、都を首里(しゅり)とする。
小さな離島の集合で、総人口17万に満たない小さな王国ではあったが、隣接する大国明・清の海禁や日本の
鎖国政策の間にあって、東シナ海の地の利を生かした中継貿易で大きな役割を果たした。
南方文化の影響も受けた独自の文化を築き上げた。
(3)商人・手工業者の成長
?座(ざ)
商人や手工業者がつくった同業者組合で、生産や販売を独占した。
朝廷や貴族・寺社などに金銭などを払う代わりに営業や販売の独占権などの特権を
認められた。
?河原者(かわらもの)
河原に住み、公家や神社の清掃・庭造りをする。
河原者は井戸掘り、芸能、運搬業、行商、造園業などにも従事していた。
(4)都市と交通の発達
定期市(ていきいち)が発達し、高利貸しの土倉(どそう)、港での運搬業者
の問丸(といまる)、陸上の運搬業者の馬借(ばしゃく)・借車(しゃくしゃ)が
活躍した。交通の要所には関所を設け、通行料を取った。
土倉
現在の質屋のように物品を質草として担保とし、その質草に相当する金額の金銭を高利で貸与した。
問丸
港湾を利用する者の、年貢米の輸送管理・仲介業者または運送業者。
様々な展開を見せ始め、一般の商品も取り扱うようになって室町時代には問屋へと展開するものや、
現地の港湾からの流通に対する独占的権利を確立して港湾支配を確立した。
馬を利用し、荷物を運搬する輸送業者。
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