中学歴史 近世の日本 江戸幕府の成立 確認問題・解答3
江戸時代の百姓と町人
次の文を読んで、後の問いに答えてください。
江戸時代の百姓は全人口の(80)%以上を占め、武士の生活は百姓の納める年貢で支えられて
いた。百姓とⓐ町人の身分は武士に次ぐとされていたが、ⓑさまざまな制約があった。百姓には、
ⓒ土地を持ち、年貢納入の義務を負った者と、ⓓ土地を持たない者がいた。また、百姓は5戸ずつ
にまとめられ、ⓔ五人組がつくられていた。
(1)文中の( )にあてはまる数字を。次のア~エから選んでください。
ア 10
イ 50
ウ 80
エ 90
答え [ウ]
(2)下線部ⓐの町人について、地主・家持(いえもち)に対して、使う区別の呼び名をそれぞれ書
いてください。
地主 ・ 家持
↓ ↓
答え [ 地借(じがり)・店子(たなこ) ]
・武士の身分と町人・百姓の身分は固定されたが、町人・百姓の下にさらに低い身分
がつくられていた。百姓たちは、自分たちが最下層の身分でないということで、武士階級
の不満をそらしたともいわれる。
(3)下線部ⓑについて、次の問いに答えてください。
?資料は1649年に出されたものである。なんという法令になりますか?
・江戸時代の第3代将軍徳川家光期にあたる慶安2年(1649年)に、江戸幕府が
農民統制のために発令されたとされている幕法。
百姓に対し贅沢を戒め、農業など家業に精を出すよう求めた内容で、32ヶ条
と奥書から成り立つ。
?これを出した目的を、次のア~エから選んでください。
ア 百姓の一揆を防ぐため
イ 百姓に村の自治を行わせるため
ウ 百姓の生活を向上させるため
エ 百姓から確実に年貢を取るため
答え [エ]
・武士は百姓の年貢によって生活していた。百姓が反抗せずに年貢を納めることが、
武士の安泰につながる武士が百姓をどう統治していたかがわかります。
(4)下線部ⓒを何といいますか?
答え [本百姓(ほんびゃくしょう)]
・田畑と家屋敷地を所持し(検地帳名請人)、年貢と諸役の両方を負担する者を
百姓(本百姓・役家)とした。
(5)本百姓から選ばれる村役人は、庄屋(しょうや)・組頭(くみがしら)ともう一つは何になりますか?
答え [百姓代(ひゃくしょうだい)]
・名主(庄屋・肝煎)、組頭(年寄)、百姓代という村政を担う3種の村役人全体を指す。
名主が村政全体を代表し、組頭がその補佐役、百姓代が監査役とされる。
(6)下線部ⓓを何といいますか?
答え [水呑百姓(みずのみびゃくしょう)]
・江戸時代以降、在方の人別に加わりつつ、石高を所持しない無高の者を指す呼称。
(7)下線部ⓔがつくられた目的を、次のア~ウから選んでください。
ア キリスト教信者を見つけるため
イ 年貢納入や犯罪防止に共同で責任を負わせるため
ウ 互いに助け合って暮らせるようにするため
答え [イ]
・五人組(ごにんぐみ)
江戸時代に領主の命令により組織された隣保制度。五人組制度は村では惣百姓、
町では地主・家持を近隣ごとに五戸前後を一組として編成し、各組に組頭などと
呼ばれる代表者を定めて名主・庄屋の統率下に組織化したものである。
これ
は連帯責任・相互監察・相互扶助の単位であり、領主はこの組織を利用して
治安維持・村(町)の中の争議の解決・年貢の確保・法令の伝達周知の徹底をはかった。
また町村ごとに遵守する法令と組ごとの人別および各戸当主・村役人の連判を記した五人組帳という帳簿が作成された。
コメント