中学歴史 原始から古代へ 平城京から平安京へ
1、奈良の都
710年、藤原京から奈良に都を移す。
?奈良時代
奈良に都がおかれた約80年間の間。
?政治の仕組み
・中央
2官8省の役所を置く。貴族が高い役職につく。
・地方
中央から国司を派遣し、その下に郡司を置く。北九州には大宰府を設置。
・朝廷
天皇を中心とする政治
?和同開珎(わどうかいちん)と富本銭(ふほんせん)
都とその周辺だけで使われ、普及はしなかった。
(2)貴族と農民
?藤原氏
中臣鎌足の子孫で代々高い位につく。
藤原氏は、中臣鎌足が大化の改新の功により天智天皇に賜った「藤原」の姓が、子の藤原不比等の流に
認められたのに始まる。鎌足が中臣氏の出身であるため、祖は中臣氏と同じく天児屋命と伝える。源氏・
平氏・橘氏と合わせて「源平藤橘」の四姓の一つであり、その筆頭名門氏族とされる。
奈良時代に、南家・北家・式家・京家の四家に分かれ、平安時代には北家が皇室と姻戚関係を結んで摂関
政治を行った。藤原氏の一族は、奈良時代から平安時代までは本姓の「藤原」を称したが、鎌倉時代以降は
姓の藤原ではなく、「近衛」、「鷹司」、「九条」、「二条」、「一条」などの苗字に相当する家名を名の
り、公式な文書以外では「藤原」とは名乗らなかった。
?班田収授(はんでんしゅうじゅ)
戸籍に基づいて6歳以上に男女に口分田を与え、死ねば返される制度。祖(そ)・庸(よう)・調(ちょう)
の税のほか、雑徭(ぞうよう)・運脚(うんきゃく)・防人(さきもり)などの兵役や労役の負担があった。
?良民と賎民(せんみん)
賎民のなかの奴婢(ぬひ)は奴隷としてあつかわれた。
(3)奈良時代の仏教と社会
聖武天皇は国ごとに国分寺・国分尼寺・、都に東大寺を建てた。
民間に仏教を広め、橋や用水路などの建設を行った。
?[古事記]・[日本書紀]
日本の神話を中心とした歴史書
?[風土記]
国ごとに、地名・産物・伝説などをまとめたもの。
(4)国際色豊かな文化
?飛鳥文化
仏教を中心とした文化でギリシャ文化の影響がある。
?[万葉集]
4500首ほど集めた和歌集。万葉がなで書かれている。
聖武天皇の天平年間を中心とする奈良時代の文化。唐の文化と仏教の影響をうけた貴族の華やかな
文化。
・正倉院
天武天皇の遺品が納められている。
2、農民のくらしと京都の都
(1)農民のくらし
きびしい税や労役のため、口分田を捨てて逃亡したり、戸籍を偽ったりした。
・墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)
743年、口分田が不足したため、新たに開墾した田(墾田)は、代々私有地として認めた。
(2)平安京
794年、京都に都を移し、政治の改革を行った。
?長岡京(ながおかきょう)
桓武天皇(かんむてんのう)が山城(京都府)に都を移す。
?平安時代
京都に都が置かれた約400年間。
?桓武天皇
律令政治の立て直しをはかる。
・班田収受の実行
国司の不正を取り締まり、農民の税や労役の負担を軽くした。
・東北支配
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を派遣し、蝦夷(えみし)を
支配しようとした。
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