中学歴史 近世の日本 中世から近世へ
1、ヨーロッパ人による新航路の開拓
(1)キリスト教の世界とイスラム教
?キリスト教の広まり
?イスラム帝国
ムハンマド(マホメット)がイスラム教を開き、アラビア半島を統一。後継者がイスラム帝国を築く。
イスラム世界の中心的な王朝を漠然とイスラム帝国と呼ぶもの。
日本において、「イスラム帝国」という用語は一般的にこのように理解されていることが多いようである。
?ルネサンス
イタリアで始まった人間性を尊重する自由な文化。
活版(活字を組み合わせて作った版)で印刷すること。
活版印刷術により、写本とは比較にならないほど大量の刊行も可能になった。
火薬
火薬を用いた兵器の開発によって、西欧世界の戦力は増大した。
航海術は著しく発達し、大航海時代が始まった。
?宗教改革
ルターが教会の免罪符(めんざいふ)に抗議し始まる。
「マルティン・ルター」
ルターに始まる贖宥状批判は大きな反響を呼んだ。宗教改革は各地に拡大し、ローマ教皇
の絶対主義に嫌悪していた周辺の諸侯の支持を得た。
農奴制からの解放を求める農民も反乱を起こしたが、闘争が激化するとルターはこれを批判
するようになり、鎮圧された(ドイツ農民戦争)。カトリックを支持する神聖ローマ皇帝と、ルター派
の諸侯の間で戦闘が続いたが、1555年にアウグスブルクの和議が結ばれ、諸侯はカトリックと
新教(ルター派)を選択する権利が認められた。
・イエズス会
カトリック教会が結成して海外の布教活動に力を入れた。
カトリック教会は、宗教改革によって弱体化しだしたカトリックの勢力を取り戻そうと結成された。
宗教改革以来、イエズス会員は「教皇の精鋭部隊」とも呼ばれた。
イエズス会は当初から世界各地での宣教活動を重視し、優秀な宣教師たちを積極的に派遣した。
イエズス会創設のメンバーの内の一人。日本とその文化に興味を覚えて1549年に来日。二年滞在
して困難な宣教活動に従事した。
(2)スペインの世界進出
?新航路発見
コロンブスは西インド諸島 (南北アメリカ大陸に挟まれたカリブ海域にある群島である。)到達。
サンタ・マリア号に率いられた船団がバルセロナ港から西に出港した。1492年10月12日、西インド
諸島に属するバハマ諸島に到着したコロンブスは翌年スペインに帰還して西回りインド航路を発見
したと宣言した。
ヨーロッパからアフリカ南岸を経てインドへ航海した記録に残る最初の人物であり、インドへの航路
を初めて「発見」したヨーロッパ人であるとされる。このインド航路の開拓によって、ポルトガル海上
帝国の基礎が築かれた。
1497年7月8日、ヴァスコ・ダ・ガマはマヌエル1世に命じられ、船団を率いてリスボンを旅立って
インドを目指した。目的はイスラム商人を排したインドとの直接交易。先人達の知識をもとに4ヶ月
で一気に喜望峰に到達した
ガマは、アフリカ南端を回ってモザンビーク海峡に至りイスラム商人と出会うとインドへの航路に
関する情報を収集した。
マゼラン一行は、スペインの命を受けモルッカ諸島への西回り航路開拓に出た、南アメリカ
大陸南端のマゼラン海峡を通過して太平洋を横断し、グァム島に立ち寄り、1521年に
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