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中学歴史 中世の日本 元の襲来と鎌倉幕府の滅亡

室町

中学歴史 中世の日本 元の襲来と鎌倉幕府の滅亡


  2、鎌倉幕府の滅亡


(1)農業と商業の発達


  ?農業の発達


   米と麦の二毛作(にもうさく)が普及し、牛馬による耕作が広まった。


    ・商品作物


     桑(くわ)・漆(うるし)・茶(ちゃ)など、原料や商品として売る作物。


  ?商業の発達 


   農村にもができる。貨幣(銅銭)が広く使われ、中国から 宋銭(そうせん)を輸入した。


   京都や鎌倉に高利貸しが現れるようになった。


(2)鎌倉幕府の滅亡


  ?御家人の不満


    元寇で多くの費用を使ったのに恩賞(おんしょう)が少なかった。

  ?徳政令(とくせいれい)


    御家人の生活が苦しくなり、それを救うために鎌倉時代から室町時代にかけて朝廷、


幕府などが債権や債務の放棄を命じた法令である。それにより土地を取り戻させたが、効果は


 一時的なものになり、幕府は信用を失った。


  ? 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)


    元寇の後、幕府はその力を失っていった。武士が力を持つ政権を、天皇を中心とする政権に変えようとしたのが、
後醍醐天皇である。


  建武の新政(けんむのしんせい)


 後醍醐天皇は天皇親政によって
朝廷の政治を復権しようとしたが、武士層を中心とする不満を招き、1336年(建武3年)に河内源氏の有力者で
あった足利尊氏が離反したことにより、政権は崩壊した。


    


   ・ 楠正成(くすのきまさしげ)     


  河内(現在の大阪府)の振興武士(しんこうぶし)で、後醍醐天皇に味方した。


  ?鎌倉幕府の滅亡


    足利尊氏(あしかがたかうじ)は六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻め 新田義貞(にったよしさだ)は、


  鎌倉を攻めて、鎌倉幕府を倒した。

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