中学歴史原始から古代へ 日本の原始時代 練習問題2 解答・解説
米作りが広まって
次の文を読んで、後の問いに答えてください。
中国で巨大な統一国家ができつつあった紀元前4~3世紀ごろ、大陸から稲作や金属器(ⓐ青銅器
や鉄器)が伝わり、人々は水田の近くに(?)をつくって定住するようになった。青銅器である(?)に
は、脱穀の様子などが描かれているものもある。稲作が始まり人口が増えると、人々の間に指導者
ができ、やがて、?を支配するものがでてきた。また、?どうしが争いを繰り返すうちに、強い集団が
弱い集団を従えて(?)ができてきた。ⓑこのような時代は、紀元3世紀ごろまで続いた。
(1)文中の?・?にあてはまる語句をひらがなで書いて下さい。
答え ? むら 、? くに
(2)文中の?にあてはまる語句を、次のア~エから選んでください。
ア、銅剣
イ、銅鐸
ウ、銅矛
エ、銅鏡
(3)下線部ⓐのうち、武器や工具として用いられたものはどちらですか?
答え 鉄器
(4)下線部ⓑの時代にあてはまるものを、次のア~エから選んでください。
ア、石包丁
イ、貝塚
ウ、打製石器
エ、縄文土器
人々が集まりむらを作り定住して農耕をしだした時代は、弥生時代になります。
貝塚は狩猟・採集の時代になります。
打製石器も狩猟・採集の時代になります。
もちろん、縄文時代は狩猟・採集の時代です
石包丁は、稲の穂を摘み取る道具ですから、稲作をしていたことがわかります。
稲作が始まったのは、弥生時代ですから
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