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中学歴史 原始から古代へ 古代国家の衰えと武士の起こり 確認問題1解答・解説

原始

中学歴史 原始から古代へ 古代国家の衰えと武士の起こり 確認問題1 解答・解説



 変わりゆく東アジア


 次の文を読んで、後の問いに答えてください。


  中国ではⓐが地方の軍人に滅ぼされ、数十年の間に政府が幾度も交代する混乱が続いたあと、10世紀後半に


 ⓑが国内を統一した。この国では各種の学問が普及し、(?)では、ⓒ主君と家臣、父と子の道徳を重んじる


 学問が生まれ、(?)では、ⓓ座禅による悟りを開く宗教が栄えた。また、ⓔ産業や貿易が発達し、発明品も


 出てきました。また、朝鮮半島では、(?)が滅んで、高麗が建国された。高麗では、?や?が保護され、すぐ


 れた陶磁器がつくられた。



(1)文中の?・?にあてはまる学問と宗教のを書いて下さい。



   答え ?儒教 、?仏教


(2)?にあてはまる国名を書いて下さい。



   答え 新羅



(3)下線部ⓐから帰国した僧と、その僧が広めた新しい宗教、建てた寺を正しく組み合わせたものを、次の


   ア~カから選んでください。


ア、最澄ー真言宗ー比叡山延暦寺
イ、最澄ー天台宗ー高野山金剛峰寺
ウ、最澄ー真言宗ー高野山金剛峰寺
エ、空海ー天台宗ー高野山金剛峰寺
オ、空海ー真言宗ー高野山金剛峰寺
カ、空海ー天台宗ー比叡山延暦寺


空海・真言宗高野山金剛峰寺


空海は、高野山に金剛峰寺(こんごうぶじ)を建て、真言宗(しんごんしゅう)を広めた。


  祈祷やまじないによって、日照りのときは雨を降らせ田とされ、その不思議な力により


  貴族や農民に受け入れられた。


最澄・天台宗比叡山延暦寺


最澄は比叡山に延暦寺(えんりゃくじ)を建て、天台宗を広めた。


  人は修行をつめばみな仏になれると説いた。



   答え オ



(4)下線部ⓑの国の長江流域ではどのような農業が発達しましたか?次のア~エから選んでください。


ア、稲作
イ、綿花
ウ、小麦
エ、放牧



   答え ア



(5)下線部ⓒの学問を何といますか?


  


 孔子(こうし)が説いた教えが、儒教で、春秋時代の中国の思想家。


    儒家の始祖。世界三聖に数えられる。


  それを宋の時代に、朱熹(しゅき)


 という人物が朱子学としてまとめた。主君と家臣の関係を重んじる思想があり、


  後の武家社会に受け入れられるようになった。


   答え 朱子学



(6)下線部ⓓを何といいますか?


   宋で栄えた禅宗(ぜんしゅう)は、日本では鎌倉時代に曹洞宗(そうとうしゅう)臨済宗(りんざいしゅう)として広められた。


   答え 禅宗



(7)下線部ⓔにあてはまるものを、つぎのア~オから3つ選んでください。


ア、漢字



イ、活字


    粘土(膠泥)の一字一字の駒に文字を彫り、焼いて活字を得た。必要に応じて数十個まで作られた活字は、韻によって木箱に分納された。当時は、金属ではなく陶製だった。


ウ、火薬


    中国の唐代(618年 – 907年)に書かれた「真元妙道要路」には硝石・硫黄・炭を混ぜると燃焼や爆発を起こしやすいことが記述されており、既にこの頃には黒色火薬が発明されていた可能性がある。



エ、紙



オ、羅針盤


    11世紀の中国の沈括の『夢渓筆談』正確には「真貝日誌送」にその記述が現れるのが最初だとされる。沈括の記述した方位磁針は24方位であったがのちに現在と同じ32方位に改められた。西アジア及びヨーロッパには、双方と交易を行っていたペルシャ人によって伝えられたと考えられている。



   答え イ・ウ・オ

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